入社7年目、
20代で営業部長に。
ここだから向き合える挑戦と、
得られる成長がある。

入社7年目、
20代で営業部長に。
ここだから向き合える挑戦と、
得られる成長がある。

Kento Oshima

開発事業部 神奈川統括部長
2011年入社
商学部商業貿易学科卒

Interview

#07

就活時に決意した「自分を変えたい」という想い。
軸は、「成長環境」ただ一つ。

「強くなりたい」――これは、大島のオープンハウスへの入社理由を象徴する言葉である。

大島は学生時代、特に何に打ち込むこともなく、本人に言わせれば「自堕落」な日々を送っていたという。そして訪れた就職活動期。周囲の就活生を見ると、明らかに自分とは違っていた。就職に対して、人生に対して真剣に臨む同世代の姿があった。

「自分は負けている、と思いましたね。悔しさはありましたが、今まで努力してこなかったツケが回ってきたから仕方がない、とも思いました。要は負けたと感じているのに自分の気持ちに火が着いていなかったんです。もし当時、環境が変わらなかったら今の自分はないかもしれません」

大学時代まで、何に困ることなく裕福な家庭で暮らしてきたという大島だが、就職活動時に父親が経営していた会社が倒産。家族は一転して危機的な状況に陥ったという。そこで痛感したのは、そうした状況の中にあっても、自分は何もできないという無力感。社会において自分は何の力も持っていないという事実だった。

「自分が置かれた環境が一変し、“強くなりたい”と強く思いました。精神的にも経済的にも強くなり、身近な人を守れる人間に成長したいと」

ここから大島の就職活動は一変した。“それなりに安定している企業であればどんな業界でも構わない”から“自分が強くなるための環境がある成長企業”へ。ターゲットは明確になった。

「成長環境以外、何もいらない。そして出会ったのがオープンハウスです。当時は労働時間も長く、休みもあまりない環境でしたが(笑)、そんなことは眼中にありませんでした。説明会で話を聞く中で、ここならば“成長できる”ことを確信したのです。足を運んだ企業の中で唯一ワクワクした説明会でしたし、荒井社長の“社会人になったらゼロになれる”という言葉が特に胸に響きました。オープンハウスなら、今までの自分を引きずることなく、ゼロからスタートできる。そこから努力を積み重ねていくことで自分を変えられる、と思い入社を決めました」

これが無理なら担当を辞める――。
本気だからこそ、発せられる言葉がある。

現在、開発事業部長を務める大島は、入社7年目、20代という若さで営業部長まで昇進している。戸建営業に配属後、着実に実績を築いてきたことで、毎年昇格を果たしてきたのだ。そんな大島が大切にしているのが「結果を出すためには、知識や経験、スキルは関係ない。熱意こそが重要であり、その継続こそが成長につながる」という想いだ。そのことを象徴する印象深い取り組みが、渋谷営業センターの係長時代にあった。ある大手企業の役員を務めているお客様の、買い替えに対応したときのことだった。

「非常にこだわりが強いお客様で、要望は多岐にわたりました。物件を何度ご案内しても、ご納得いただけない。そうした状況が続くなか、遂に最適と思われる物件が出たのです。これならば絶対に大丈夫だ——。確信を持って現地にご案内しましたが、首を縦に振っていただけませんでした。私は『これ以上にいい物件はありません。これでご納得いただけないのなら私は担当を止め、提案をすることもありません”と本音でお客様に言い放ったのです』

後日、お客様から大島に電話が入る。自分の言動へのクレームだと思い電話に出ると、オフィスに来て欲しいと告げられた。対面した際、開口一番に言われたのが「この間、君はどこよりも熱意と情熱を持って提案をし続けてくれた。ぜひ、あの物件を購入させていただきたい」という思いがけない言葉だった。

「嬉しさより、驚きが先立ちました。お客様に本音で本気で、熱意を持って対応したことが、お客様に響いたのだと思います。目の前のことをやり切ることの大切さを痛感した取り組みです」

この取り組みに限らず、大島の営業のベースにあるのは、徹底した「お客様主義」だ。

「当社は日本一を目指しています。そのためには、日本でお客様に一番支持される存在になる必要がある。お客様のことを徹底的に考え抜くのは当然のことです。私は誰よりもお客様目線で提案していた自負があります。当社の戸建を購入することで、お客様を絶対に幸せしてあげたい。その想いが私の原動力でした」

大島はこれまで数百組のお客様に戸建を販売しているが、「100%幸せにしている」という自信があると言う。戸建営業時代、こうして大島は確実に成長の階段を上っていった。

ベンチャー企業ではできない規模を、
大手企業ではできないスピード感で差配する。

開発事業部は戸建事業における用地仕入れをミッションとしている。展開地域は、東京、千葉、埼玉、神奈川で、大島は神奈川統括という立場だ。用地を“いくらで買うのか、そもそも買うのか買わないのか”をすべて判断し、用地取得後、商品化し、価格設定まで事業を一気通貫で決定していく。ベンチャー企業ではできない数億~数十億円の規模の用地を、大手企業ではできないスピード感でジャッジしていくスケール感の大きな仕事だ。しかし開発事業部長への着任当時は、大きな苦悩があったという。

「戸建営業から、まったく畑違いの用地仕入れ、ましてや部長として異動することへの不安は大きく、当初、社長に『無理です。一営業担当からやらせてください』と直訴しましたが、返ってきた言葉は『甘えるな』でした。厳しい環境に身を投じることの大切さを社長は示唆してくれたのです。着任後、周囲から知識を吸収し仕入れ業務を学びつつ、結果を出すことに執着し続けたことで、幸いにも実績を積み上げることができています。目の前のことをできない者は何もできない。逆境でも、熱意さえあれば乗り越えられる。それが私の揺るがない信念です」

大島はオープンハウスという会社を「正しいことを正しいと言える会社。思いっきり熱くなり、思いっきり悔し泣きができ、思いっきり正義感を発揮でき、思いっきり本気になれる会社」と言う。自身がもっと強くなること。それが組織を強くし、会社を強くし、それは日本一の道へと続いている。大島は、そう確信している。

Interview

社員インタビュー

圧倒的熱量を
武器に。

ソリューション営業部の安部は、各事業部において最も優れた実績をあげた新人に与えられる「新人賞」の獲得を、入社時に全社員の前で宣言していた。しかし入社1年目の後半、安部の順位はまだ3番手。期末まで後2ヶ月、日々、焦燥感が安部を襲っていた。

Yuki Abe

日本で一番
米国不動産を売る。

2017年、オープンハウスは、新たに米国不動産ビジネス事業をスタートさせた。国内の富裕層の資産形成を、米国の不動産投資を通じてサポートする事業だ。

Yosei Ito

活動量に
「効率」という視点を。

こうしたエピソードを持つ岡﨑だが、実は入社後から順風満帆な道を送ってきたわけではない。新入社員は、入社年の6月までに初契約を取ることが目標とされている。だが岡﨑は、新入社員当時それを果たせず、7月末になってようやく初めて成約した。

Yuki Okazaki

現場をまとめる
One Teamの意識。

一般に営業という仕事は、どうしても個人の成績が重視される傾向にある。個人同士が切磋琢磨して数字を競い合い、成績を伸ばしていくことは重要である一方で、オープンハウスの営業の現場にあるのは、強い仲間意識だ。

Keishi Isamu

地域共創の
あり方を追求する。

事業開発部では多種多様なプロジェクトが同時に進んでおり、その一つが地方共創事業だ。主に群馬県で展開しており、温泉街の再生やスキー場、キャンプ場の立て直し、廃校の利活用など、地方活性化に繋がる多彩な取り組みが進行中だ。

Yuka Matsuoka

「解約」から芽生えた
プロ意識。

新人として順調にマンション販売の実績をあげていた斉藤だったが、その日、数日前に成約したお客様から、突然「解約」を告げられたのだ。解約の理由は、「入社間もない新人が、高額かつ一生ものの買い物でもある家を売っているということに不安を払拭できないので解約させてほしい」というものだった。

Fuki Saito

本気の先に、
20代での営業部長が。

現在、開発事業部長を務める大島は、入社7年目、20代という若さで営業部長まで昇進している。戸建営業に配属後、着実に実績を築いてきたことで、毎年昇格を果たしてきたのだ。そんな大島が大切にしているのが「結果を出すためには、知識や経験、スキルは関係ない。熱意こそが重要であり、その継続こそが成長につながる」という想いだ。

Kento Oshima

社会に必要とされる
企業になるために。

オープンハウスは創業以来約四半世紀、事業を拡大し急成長を遂げてきた。売上高一兆円達成はすでに射程に入っている。そして「日本一へ」向けて、今後も成長は加速していくことは間違いない。しかし一兆円企業となったとき、これまでの歩みと異なる次元に入ると、吉田は語る。

Shintaro Yoshida