建売住宅の図面をひたすら描いた駆け出し時代から、事業としての不動産と向き合うまで。
これから建築に携わる仕事に就こうとする若者に、ヒントやエールを贈りたい。そんな想いから、業界のトップランナーへのインタビューを実施しました。
ご協力いただいたのは、NOT A HOTELの NASUやcave、東京の〈千駄ヶ谷駅前公衆トイレ〉、自然環境を生かしたネイチャーディベロップメントDAICHI natureの事業など注目の建築物や事業を数多く手がけてきた建築家・起業家の谷尻誠さん。今や最注目の建築家と言っても過言ではない谷尻さんですが、実は専門学校卒で建売住宅の設計からキャリアをスタートした、いわゆる”叩き上げ”のご経歴の持ち主なんです。ご自身もコンプレックスだらけだったという駆け出し時代から今に至るまでには、どんな経験や学びがあったのでしょうか?
建売住宅の図面を描きまくった20代前半
――谷尻さんのキャリアは、建売住宅の設計からはじまったと伺いました。
谷尻:はい、そうです。最初に入った地元・広島の設計事務所はほぼ建売住宅専門のような事務所で、当時社員は7~8人だったのかな、みんな建売の図面ばっかり描いていました。とにかく数をこなすって感じで、僕はけっこう仕事が早い方だったので、5年在籍した終盤は年間100軒分くらい描いてたと思います。
――100軒! 過酷な職場でしたね……。
谷尻:それがあんまり。仕事さえこなせていれば夜もそこまで遅くならなかったし、週末も休みだったし。あ、休みは隔週だったのかな? でもそこそこの給料ももらえていたので、特別過酷だとは思っていませんでした。
――仕事は最初から早かったんですか?
谷尻:いえいえ、もちろん最初はそんなことはなかったです。最初に面倒見てくださった上司にはめちゃくちゃ怒られてました。厳しい人で、同じことを2回聞くと罵倒される感じで。すごい怖かったんですけど、同時に悔しくもあって。一刻も早く、この人に指図されないようになってやるって。それをモチベーションに半年くらい頑張ったら、一通り仕事ができるようになって、その人とも普通に話せるようになりました。
求められる案と、自分がつくりたい案を、2案つくった。
――仕事に不満はありませんでしたか?
谷尻:特に不満はなかったですね。もっとデザインされたものをつくりたいなとは思っていましたけど。だから勝手に2案提案してました。当たり障りのない案とは別に、デザイン的な要素を入れた案をつくって。
――ただでさえ仕事量が多い中で2案つくるのは大変ではなかったですか?
谷尻:仕事のスピードが上がって欲が出たんでしょうね。2案つくり始めたのは、たぶん4年目くらいのことですが、その頃には朝に受けた仕事をその日の夕方にチェックに出すようなペースになっていましたから。最初は目の前の仕事に必死で、そんなこと考えてもなかったですね。
――デザインするという意味では、コンペに応募するという手もあると思います。制限の多い実務のなかでチャレンジするよりも、そちらのほうが手を出しやすそうに思うのですが、それは考えませんでしたか?
谷尻:考えなかったですね。当時、建築家として世の中に認められたいみたいな野望は全然なくて、ただ素朴に「自分がデザインしたものが、実際に形にできたら楽しいだろうな」と思っていただけなので。
「できる」と言ってから、できるようにする
――2案つくる作戦は報われましたか?
谷尻:それが全然で。デザインした方の案を選んでくれる建売業者さんはいませんでした。悶々としているときに、ビームスが内装の事業を立ち上げるって聞いて。会社を辞めて応募したものの、結局御縁がなくて、声をかけてくれた別の設計事務所で働きました。その事務所も経営がうまく行かずに1年ほどで離れることになって、なりゆきでフリーランスになったのが独立の経緯です。
――独立しようと思っていたわけではないんですね。
谷尻:はい、やむにやまれずです(笑) ただ、あんまり悲壮感はありませんでした。まだ若いし、選ばなければ仕事なんていっぱいありますから。
それで当時、寝る間も惜しむくらいハマっていた自転車のダウンヒルを思い切りやる1年にしようと思って。友達とチームを組んでレースに出たり、Tシャツをつくって売ったり、フライヤーのデザインを受託したりしたのが「SUPPOSE」のはじまりです。それだけでは食べれないので、バイトもしながら暮らしていました。
――当時は設計のお仕事もあったんですか?
谷尻:時間だけはあるので、いろんなとこに顔を出して友達をつくってたんです。そのツテで、お店の内装のデザイナーを探してる人に出会って、やったこともないくせに「できます、得意です」って言って提案させてもらって。っていうことを繰り返してたら、1年で10件くらいは実際に任せてもらえることになって、嘘が本当になっていった感じです。
つくる+つたえるで、仕事が広がる。
――当時も広島ですよね? 全国のお仕事を手掛けられるようになったきっかけは何かあったんでしょうか?
谷尻:1つ目のきっかけは、住宅のお披露目イベントです。それも友達のツテですね。ログハウスを建てたがってる人がいるって聞いて、紹介してもらったら、他にはないようなものを建てたいんだっておっしゃってて。建築雑誌を見せながら好き勝手アイデアを話してみたら「いいね、やってみよう」って言っていただけて。
独立してはじめての住宅の仕事で、かつ自分もやりたかったデザイン性のある建築だったので、ただつくるだけでは終わらせたくなくて、多くの人に見てもらえるようにイベントを企画したんです。クラブイベントみたいにフライヤーつくって、友達の家具屋さんの商品を置いて、音楽をかけて。そしたら、300人くらいの方が来てくれて、そのなかから次のクライアントが現れてっていうサイクルができたんです。
――2つ目のきっかけは?
谷尻:そんな流れのなかでいただいたお仕事の1つをグッドデザイン賞に出展したら、ナカサアンドパートナーズ(※編集注 建築・インテリアに特化した写真事務所)の方からご連絡をいただいて。いくつかの作品の写真を撮っていただいたうえに、雑誌社に「こういうのあるよ」と紹介していただいたんです。そしたら、いろんなところからお声がかかるようになって、そこで引き受けた仕事をまた取り上げていただいて、といういいサイクルができるようになって。語弊があるかもしれませんが、メディアとのリレーションがあると、こうも効率がいいのかと驚きましたね。
どこに就職しても、不満は言えるし、楽しみも見つけられる
――少しお話が戻ってしまうのですが、最初の就職先に建売の設計事務所を選んだのはどんな理由があったんでしょうか?
谷尻:理由らしい理由がなくて申し訳ないんですが、専門学校の先生に紹介していただいたからです。受けてみたらと言われるがままに受けて、内定をいただいたので即決めました。
――就活に悩む学生も多いですが、谷尻さんは悩まなかったんですね。
谷尻:言われてみればそうですね。同級生の誰よりも早く就職先が決まったから他の学生の悩みを聞いていないというのもあるかもしれませんが、どこの会社がいいんだろうかみたいなことは考えたことがなかったです。
根本的に、自分次第だと思ってるというのもありますね。どんな会社でも文句を付けようと思えば付けられるし、どんな会社でも楽しみ方を見つけることはできるだろうなって。だから極論どこでも良くって、その中で自分のやりたいことに近い仕事だったら十分すぎるなと考えていました。
――控えめなんですね。
谷尻:コンプレックスだらけでしたから。建築業界って、なんだかんだ優秀な人が多いですから。有名大学出身で、アカデミックな知識もあって、学生時代からすごい事務所にインターンして、みたいな経歴の方がいっぱいいる世界なので、専門学校卒の自分じゃきっと敵わないなって。
有名事務所に就職できなくても、悲観しなくていい
――大卒と専門卒では有利不利があると思いますか?
谷尻:昔は大卒、というか有名な事務所に入れるだけの学歴があるほうが有利だとは思っていましたけど、今は就職するまでの切符でしかなくて、一長一短だと感じています。
有名事務所に入ったほうがメディアとのリレーションは最初からあるし、どうやったら建築家として成功できるか知ってる人たちが傍にいるという意味では、有利な面はありますよね。環境が人を育てる部分ってありますから。
ただ同時に、そういう環境にいると王道ルートを疑わなくなっちゃう部分もあるのかなって。僕みたいにどこの馬の骨とも分からないようなキャリアの人間のほうが、セオリーとは違う新しい発明みたいなものを見つけやすい気もします。結局は本人次第なんだと思いますね。
――学歴が良かったり、就活に成功したりしたからといって、それに胡座をかいていると逆転されちゃうこともあるということですね。
谷尻:全然ありますね。うちのスタッフでも高学歴な人間はいますけど、アカデミックな頭の良さと、業務で使う頭の出来は違うって話をよくしています。逆に言えば、有名大卒じゃなくても、有名事務所に入れなくても、悲観しなくていいと思います。
ストレスのない成長なんてない
――最初のお仕事のお話に戻ります。食い下がるようなんですが、本当になんにも不満はなかったですか? 全体としては満足していても、この業務だけは嫌だったとか。
谷尻:それはもちろんありましたよ。具体的に何がってことまではもうあんまり覚えてませんけど、あんまりやりたくないなって仕事はありました。でも、昔から成長にはストレスが伴うものだって意識があるんですよ。ストレスがないってことは成長がないってことなので、嫌なことがあるほうがいいんだって考えてました。
――その意識はいつ頃からお持ちなんですか?
谷尻:高校時代に本気でバスケをやってからですね。キツイ練習をしたり、強い相手と試合して負けたりすると、その瞬間は嫌なんですけど、後々の成長につながることを体験しちゃってるので。
早く成長したいなら、自分から嫌なことを取りに行くのが一番だっていう思考が染み付いちゃいました。
――当時、野望はなかったということでしたが、成長意欲の源泉はどこにあったんでしょうか?
谷尻:なんでしょうね? どうせやるんだったら、上達したいっていうのは素朴な感情として持ってましたね。仕事だけじゃなく、バスケでも自転車でも。そこに理由はあんまりないです。強いて言えば、そのほうがモテるからですかね(笑)
居心地がいい住宅がつくれるなら、居心地のいいオフィスやホテルだってつくれる。
――ここから少し、オープンハウスに寄った質問をさせていただきます。オープンハウスのなかで建築の仕事は、建売、注文住宅、マンション、リノベーションなどいろんなジャンルがありますが、原則、住宅を扱います。谷尻さんは住宅はもちろん、オフィスやホテル、商業施設なども手掛けられていますが、住宅とその他の施設の設計は、なにか通じるところはありますか?
谷尻:めちゃくちゃありますね。というか、基本的には何も違わないと思っています。
――ということは、住宅の設計で学んだことは住宅以外の建物にも活かせるということでしょうか?
谷尻:はい。あくまで僕個人の考えですけど、住宅が一番基本にあるなって思っています。住宅にもいろいろありますけど、「居心地良くて暮らしやすい」っていう根本は共通しています。その部分が掴めていたら、居心地のいいオフィスだって居心地の良いホテルだってつくれるわけじゃないですか。
そこに何か変化を加える、例えばホテルの場合によく言われる非日常性を持たせるとしたら、住宅という日常のどこかを非日常で上書いてあげれば、目指すところに近づけられます。
――ちょっと誘導尋問的ですけど、キャリアの最初を住宅から始めるっていうのはいいことだと思いますか?
谷尻:僕はけっこういいと思ってますね。もっと言えば最初だけじゃなくって、キャリアを積んでからも住宅はやり続けたほうがいいって、昔から公言しています。
巨匠になると、大きいものばっかりやって住宅やらなくなる方もいるじゃないですか。別に断っているわけじゃなくて、住宅の依頼が来なくなるのかもしれないですけれど。でも僕は、居心地とか暮らしやすさって部分を忘れたくないので、住宅の仕事もずっとやり続けるつもりです。
狭小戸建ての設計は、制限のなかで考える力が鍛えられる
――オープンハウスは狭小戸建て、狭い土地を活かした物件を多く提供しています。こういった物件のお仕事は、建築家の目にはどう映りますか?
谷尻:すごい勉強になると思いますね。小さい土地って、法律とか施工法とかの制限が多いですから。大きな土地では何の問題なくできたことが、小さな土地ではできないってことも珍しくありません。そのなかで魅力的な物件を生み出そうと思うと、いろんな知識なり表現上のテクニックなりが必要になってきます。
多くの人は、大きいもののほうが価値があると思ってるじゃないですか? そんななかで、他社さんの物件より小さいものを、どう魅力的にみせるかっていうのは難易度が高いですよね。その代わり、立地や価格の面で顧客利点があるわけなので、建物を良くするだけじゃなく、その利点を活かそうというビジネス視点も身に付くんじゃないでしょうか?
――狭小戸建ての設計経験は、特殊事例だから他の仕事には活かせないと思う人もいるかもしれませんが、その点はいかがでしょうか?
谷尻:そんなことは決してなくて、大きな土地の物件や、住宅以外の不動産をつくるときにもきっと活きると思います。そっくりそのまま同じことをするってケースはあんまりないかもしれませんが、制限を回避するための頭の使い方や、関係者から情報を引き出すためのコミュニケーションは間違いなく役に立つはずです。
誰かと競うより、自分を納得させたい
――オープンハウスでは、日本一の不動産会社になるという目標を掲げています。谷尻さんは何か目標を設定されていますか? さきほど、昔は野望がなかったとお話していただきましたが、今はいかがですか?
谷尻:正直なところ、日本一とか一番とか、誰かと競って勝ちたいみたいな感覚はあまりないですね。ただ、唯一無二の存在にはなりたいなと思っています。他の人と比べてどうかってことよりも、自分が納得できるかってことに価値基準があるので。
――それは昔からですか?
谷尻:いえいえ。若い頃は比べまくってましたよ。だからコンプレックスもあったわけで。飄々と振る舞ってはいましたけど、内心では他の建築家に比べて学歴もない、経験もない、劣っているって卑下してました。
――比べなくなったきっかけがあったんでしょうか?
谷尻:独立して間もないくらいのとき、それこそコンプレックスまみれだった時期ですけど、工務店の社長に「建築好きか」って聞かれて「もちろん大好きです」と応えたら、「その気持ちは誰より強いかもしれないのだから、それでいいじゃないか」って言われて。確かにそうだよなって、妙に納得しちゃって、そこからですかね。
満足したら終わりだから、考え続ける
――自分が納得できるかどうかを大事にされているなかで、ご自身のお仕事に納得したことはありますか?
谷尻:完璧な納得という意味では、ないです。もちろんそのときどきのベストは尽くしますけれど、ずっと考えていると、もっとこうすれば良かったって部分は絶対出てくるものですから。それがなくなることはないんじゃないですかね?
――これだけやったからもういいかと思ったこともないですか?
谷尻:ないですね。満足したら終わりだと考えているので。
――その考え方はオープンハウス内にも浸透しているかもしれません。目標を達成したらもっと大きな目標がすぐ設定されますし、社員一人ひとりに対しても昨日の自分を越えることを求める文化があります。
谷尻:みんながやめてしまうとか、諦めてしまうとか、そんな時にもう一踏ん張りできるかは大事ですよね。「一度止まる」と書いて「正しい」になるので、みんなより少し粘って、立ち止まってみるようにしています。
自著の企画がボツになったときも、その状況でできることを考えた
――立ち止まって考えることで、良い結果につながった思い出があれば聞かせてください。
谷尻:建築のお仕事では毎回のように起こっていることですが、印象深いのは自著『1000%の建築(2012年初版)』に掲載しようと計画していた、糸井さん(編集注:コピーライターの糸井重里さん)との対談に関する思い出です。
出版のお話をいただいたときに、編集の方とディスカッションするなかで異業種の方との対談を載せたいねという話になって。僕が以前から尊敬していた糸井さんにオファーを出すことになったんです。建築って設計の良し悪しもありつつ、素材のグレードで仕上がりが変わりますが、言葉って高いも安いもないなかで、「いいな」と思える言葉や文章を毎日生み出すのってすごいことだなって。当時はまったく面識もない状態だったんですが、何としても実現させたかったので、デザインまでキッチリ詰めた企画書をつくって、専用の封筒をデザインして、文字の書き方や切手の貼り方までこだわって。開けたくさせるには、読みたくさせるには、会いたくさせるにはどうすればいいかを考え抜いてアプローチしたんですが、結果はお返事をいただけずでした(笑)
――それはさぞ残念だったでしょうね。そこからどう良い結果につながったんでしょうか?
谷尻:出版のスケジュール上、原稿を固めなければいけない期日までに返事がなかったので、編集さんからは予定していたページを削ろうと言われたんですが、その空白自体をコンテンツにしたらどうだろうと閃いたんです。糸井さんに対談を申し込んだけれど実現しなかったため空白のページになってしまったこと、でも実現させたい気持ちに変わりはないこと、建築物ができあがってから変化していくように出版後に増刷のタイミングで空白を埋めたいことを正直に書いて、出版したんです。
谷尻:そしたらそのページのことが話題になって、出版から1ヶ月後くらいには糸井さんから「素晴らしい考え方だね」ってご連絡をもらって。対談もできたし、増刷もかかったし、ほぼ日(編集注:糸井重里さんが代表を務める株式会社ほぼ日)のオフィスの設計まで依頼していただきました。あのとき諦めてページごとなかったことにしていたら、今も糸井さんとお会いできているかも分からないですから、立ち止まって良かったです。
コンプレックスは、武器にもなる
――唯一無二を目指されるうえで、ご自身の唯一性ってどこにあるとお考えですか?
谷尻:プロと素人のハイブリッドなところですかね。専門家としての職能を提供するんですけど、それと同時に知識や経験がまったくない方の気持ちも分かる部分があって。
――なぜ素人の気持ちが分かるんでしょうか?
谷尻:僕がポンコツだからです。建築の世界は優秀な人が多いので、業界の王道を歩んできた方々って周りも優秀な人間ばかりの環境で生きてきてると思うんです。
でも、世の中って優秀な人ばかりじゃなくて、むしろ優秀じゃない人のほうが多いじゃないですか? 僕はそういう人が何を考えていて、何を欲しがっているのかが、他の建築家よりも分かるんじゃないかなと思っています。
――かつてのコンプレックスが、今は武器になっているんですね。
谷尻:バスケ時代の経験の影響かもしれません。当時すごく背が低かったので、それでも戦えるようにって3Pシュートを練習しまくったら、スコアラーとして活躍できるようになったんです。体格で敵わないっていうコンプレックスが、3Pシュートっていう武器を見つけるきっかけになったのが鮮明に記憶されていて、コンプレックスの中から勝ち筋を探す癖がついちゃってるんだと思います。
お金の流れが分かる建築家が求められる
――最後に、これから建築家としてのキャリアを築いていこうとする若者が意識すべきことがあれば教えて下さい。
谷尻:お金の話ができるようになってほしいなと思いますね。お金っていうのは工事費のことだけじゃなくて、借り入れや投資も含めた、不動産ビジネスとしてのお金の流れのことです。
僕自身、若い頃はそのあたりの知識がまったくなかったので、施主さんから予算を聞いて、そのなかでできることを提案するというスタンスでした。きちんと勉強するようになったのは本当にごく最近で、2020年に東京で自宅を建てたのがきっかけでした。最初は単純に住宅ローンを組んで建てるつもりだったんですが、35年も返済を続けることに不安を覚えて。他に方法はないかと考えるなかで、一部をテナントに貸して家賃収入から返済していく方法に行き着いたんです。
――お金に関する知識を得たことで、お仕事に変化はありましたか?
谷尻:何かが具体的に変わったということはありません。ただ、つくる部分だけではなく背景のお金の流れも分かるようになると、お客さんが背負ってるリスクだったり、物件に期待していることだったりの解像度が高まったように思います。もともと嘘のない提案を心がけてきたつもりですが、よりそれに近づけたように思います。
不動産価格が上昇する昨今、それでも新しい物件を建てようとするお客さんはマネーリテラシーも高いはずです。建築家も、相応の知識が必要になるんじゃないでしょうか?