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文化を知る

難病を発症しても、自分らしく働ける。会社員と代表選手を両立する社員の働き方とは

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中途入社で現場監督として活躍していた細谷さんは、メンタル面の不調で休職中に、目の難病を発症しました。日に日に目が見えなくなっていく不安と戦いながらも、オープンハウスグループの手厚いサポートによって約1年後に職場復帰。今では現場監督のサポート役としてなくてはならない役割を担っています。そんな細谷さんに、入社からの経緯や休職・復帰サポート、オープンハウスグループで働く意義などを聞きました。
(2024年9月に取材)

記事サマリー

  • 現場監督として成長したいという思いからオープンハウスグループに転職
  • 難病発症後も無理なく働けるサポート体制と、変わらず接してくれる同僚に感謝
  • ブラインドラグビーの日本代表選手として、会社員との二足のわらじを続ける

この記事に登場する人

  • 細谷健太

    建設事業部 工事部 施工推進グループ 施工企画課に所属。2014年にハウスメーカーより転職し、現場監督に従事。約1年の休職を経て復職し、現在は現場監督のサポート業務に従事する傍ら、ブラインドラグビーの日本代表選手としても研鑽を重ねている。

現場監督としての成長を求めてオープンハウスへ

―約10年前にオープンハウスに中途で入社された細谷さんですが、前職ではどんなことをされていたのでしょうか。

はい。高校卒業後にハウスメーカーに入社し、現場監督として働いていました。

もう理由は忘れてしまいましたが、物心がつくかつかないかの頃から「大工さんになりたい」と思っていたんです。それがずっと心に残っていたものの、自分が大工として手に職をつけるのは難しいと感じ、現場監督をめざすことにしました。高校に求人が来ていた会社のなかから、比較的知名度が高いハウスメーカーを選んで入社したので、「その会社でなければならない」という気持ちはそこまでなかったのですが、念願の現場監督として働けることへの喜びを感じていました。

―では、オープンハウスへの転職を決めた経緯を教えてください。

前職で現場監督として数年働くうちに、業務が標準化されていないことや、明確な評価基準がないことにモヤモヤを抱えるようになったんです。施工のルールがないので、現場の職人さんや、自分のような現場監督のさじ加減でどうとでもなってしまいますし、やったことへの評価もあいまいです。3年目あたりで、「この会社にいても、これ以上の知識は得られないし、成長も見込めない」と思ってしまいました。

そんな理由で転職を考えていたとき、人材斡旋会社から偶然連絡をもらったんです。いつもだったら話も聞かず断ってしまうのですが、なぜかそのときだけは「ちょっと聞いてみようかな」と。それがオープンハウスへの斡旋のお話でした。当時のオープンハウスは上場直後で、私も漠然と名前や規模感は知っていても実情はわからないといった状態でしたが、若手が活躍していて、社員みんなが誇りを持って働いていることに興味を引かれました。そこで事業部長に会わせてもらって詳しく話を聞くと、マニュアルの整備も進んでいるし、現場監督でもお客さまと直接やりとりができる、さらに高額な物件を担当することができるといった、私にとって魅力的な環境が揃っていました。そして何より、当時30歳前後という若さで重職に就いている事業部長の人間性に圧倒されました。初回の面談で、私としては軽く話をきくだけのつもりだったのですが、「このまま入社してもいいよ」と言われて、思わず即決してしまいました。

―入社後はどのような業務を担当していたのですか。

高卒で働き始めて3年半ほどで転職したので、大卒で入社した方よりも若かったのですが、経験を買っていただきすぐに現場監督を任せてもらいました。施工時や施工後のお客さま対応などもどんどんやらせてもらえて、こんなに任せてくれるんだという嬉しさがありましたね。

一方で、細かく規定された施工マニュアルなどを覚えるのは大変でした。仕事自体も多く、週末はお客さまとの約束でいっぱいでした。やることはたくさんありましたが、上司や先輩はもちろん、現場で職人さんにも教えてもらったりしながら成長していける充実した勤務環境だったので、がむしゃらに働くことができました。

休職中に目の難病を発症するも、約1年で復職を叶える

―その後、いったん休職したと伺っていますが、どのような状況だったのでしょうか。

入社から4年半ほど現場監督として働いていましたが、近隣対応やクレーム対応が続いたことで、メンタル面の不調をきたしてしまったんです。一時は上司に「辞めたい」と伝えましたが、いろいろ話を聞いてもらって。さらに入社時にお世話になった事業部長がわざわざ店舗まで来てくれて「1回休め」と声をかけてくれました。現場の仕事自体は好きだったので、少し休んで回復したら復職してくればいいと言ってくれる会社や上司、事業部長のはからいに甘えることにしました。

―休職中の状況を教えてください。

当初はひと月程度の休職を経て復帰する予定でした。事実、少し休んで現場から開放されたら元気が出てきて、仕事のことを振り返りながら「復帰したらこうしてみよう」という改善点も浮かび、やる気が戻ってきていたんです。事業部長とも職場復帰に向けた前向きなお話をしていました。

しかしそんななか、目の不調を感じ始めました。最初はスマートフォンやタブレットを見たときに焦点が合わないような「あれ?」という違和感です。悪いところがあれば休職中に治しておこうとすぐに受診したのですが、近くの医療機関から大学病院、国立病院を転々としても病名がわからず、最終的に眼科の権威と言われているような病院で診てもらって、やっと「レーベル遺伝性視神経症」という難病だと診断されました。

通院している間も、朝起きると視力が悪くなっている状態で、とても怖かったです。当初は「手術すれば治るんだろう」くらいの気持ちだったので、ほぼ治ることがない病気だと知ったときはかなり落ち込みました。

―会社にはどのように報告したのですか?

事業部長と復帰に向けた話をするつもりでいたので、その前に状況を説明しました。そして診断が下りたあとの面談で「今まで会社のために頑張ってくれたんだから、こういうときは会社に甘えなさい」と言ってもらったときは本当にホッとしました。毎日不安に襲われるなかで仕事のことだけは心配しなくてよくなったので、安心して休職を続けることができました。

―職場復帰したときの経緯を教えてください。

レーベル遺伝性視神経症は、視力低下から症状が始まり、視野の中心が暗点して見えなくなってしまうという病気なので、目が見えなくなったらどんな仕事ができるんだろうという不安がありました。約1年の休職期間中、事業部長から人事担当の方に引き継いでいただき、視覚障がい者の就労を支援するNPO法人で話を聞いたりしながら職場復帰の方法を模索しました。退職勧告などは少しもされず、どうやったら復職できるかを一緒に考えていただけてありがたかったです。

ある程度症状が落ち着いたころを見計らって、まずはオープンハウスグループ内のサテライトオフィス(株式会社オープンハウス・オペレーションズ)に復職しました。そこは障がい者雇用で入社した人が働ける環境が整っているのですが、視覚障がいは私が初めてで、いろいろな作業をやってみながら人事担当の方と試行錯誤しました。視力は両目とも0.02、中心は見えませんが視野はあるので、慣れた場所なら移動もできます。常に新しい場所に赴く必要がある現場監督の仕事は諦めざるを得ませんでしたが、じゃあどんな仕事ができるかと前向きになれたのは、復職をサポートしようとしてくれる会社の姿勢があったからですね。

しばらくサテライトオフィスでバックヤードの仕事をしてみて、意外にも可能な作業が多いことがわかりました。そこで元の建設事業部への異動を打診され、久しぶりに事業部長とも話をして、戻れることになったんです。前よりもできることは少ないかもしれないけれど、職場のみんなの力になれることがあるかもしれないと感じ、とにかく嬉しかったです。

―以前の職場に戻ることができたのですね。異動後はどのような役割を担ってきたのでしょうか。

異動直後は現場監督と同じ部署で、施工グループ付きという立ち位置で現場監督のサポート業務をしていました。そして現在は、建設事業部内のマニュアルの整備、システムの構築、イレギュラー案件の相談などを請け負う施工企画課に所属し、申請関連のサポート、見積もり作成のサポート業務を担当するポジションとして働いています。

建物を建てる際には、道路の申請や条例への対応など、行政とのやりとりが必要な業務が多々発生します。それは現場監督が担当するのですが、役所独特の難しさやとっつきにくさがあって苦手な人が多いんです。そこで、細々とした事項を確認して申請書を作ったり、申請の確認や管理によってサポートしたりする業務を担当しています。自分が現場監督をしていたときに負担になっていた作業を助ける役回りなので、当時の知識や経験を活かすことができるんです。今では「細谷に聞けば解決する」というような、この分野のプロフェッショナルに近づけていると感じます。

―弱視である細谷さんが仕事をするにあたり、どのような工夫を行っているのでしょうか。また、周囲や会社からのサポート状況はいかがですか。

通常のパソコンに音声読み上げソフトと拡大ソフトを入れて、見えない部分を補っています。それに加え、拡大読書器という機械で文書などの文字を大きくして読み書きしています。私のために会社が購入してくれたもので、そういう支援の体制があることも助かっています。

最初に復職したサテライトオフィスは、同じように障がいを持っている同僚やサポーターがいて、自分の障がいについてもすごく理解して、作業をサポートしてくれます。それがあったから無事に復職できたともいえるくらいです。

ただその後、建設事業部に戻るときは、障がいのある自分が事業部に1人だけ入ることに対してかなり不安もあったんです。でも実際に戻ってみたら、みんなが「おかえり」と喜んでくれました。よい意味で特別扱いせず、以前と同じように接してくれたのが何よりも嬉しく、あらためてこの部署や会社に貢献できるように頑張ろうと思えました。

―仕事をするうえでの、細谷さんの強みはどんなところでしょうか。

そうですね、どんな仕事でも楽しめることでしょうか。

もともとは現場監督志望で、事務の仕事は苦手分野でした。でも、今はその苦手だった事務作業を楽しくやっています。どうしても作業のスピードは落ちますし、普通の人とまったく同じというわけにはいきませんが、それでも自分に任された仕事を精一杯こなすことを楽しいと思えるマインドが一番の強みかなと思います。

ただ、そう思えるようになったのは、どの部署の、どの仕事を担当している社員も、1つの目標に向かって協力し合いながら一生懸命働いているオープンハウスグループにいるからこそなのかもしれません。

ブラインドラグビーの日本代表として、競技を盛り上げたい

―細谷さんはブラインドラグビーの日本代表に選ばれたと伺っています。細谷さんとブラインドラグビーとの出会いのきっかけを教えてください。

日に日に目が悪くなって落ち込んでいるときに、とにかく体を動かそうとウォーキングや軽いジョギングなどをしていましたが、1人で黙々とやっているとどうしても鬱々としてしまって。先ほどお話ししたNPO法人で同じ病気の人と仲良くなったのがきっかけで、一緒にブラインドラグビーの体験会に参加したんです。

―ブラインドラグビーとはどのような競技なのでしょうか。

視覚障がい者がプレイしやすいようにルールが設定された7人制ラグビーです。タックルをしない代わりに両手でタッチをし、6回タッチされる前にトライを決めれば点が入ります。鈴の入ったボールを使いますが、お互いに声をかけながらでないとどこにパスをするのかがわからないので、声でかき消されてしまって実際には鈴の音はほぼ聞こえませんね。実際のラグビーコートより一回り小さいくらいの広さはあるので、1人あたりの移動範囲はかなり大きいです。

選手7人中、5人は身体障害者手帳で視覚障害と認定されていることが条件です。健常者が2人まで入ってもよいルールなので、目が見える人も見えない人も一緒に楽しめるスポーツなんですよ。

―代表選手に選ばれるまでには、かなり練習を重ねたのですか。

体験のときはボールがよく見えなくて、端のほうで小さな子どもがやるようなパス回しから始めました。視覚障がい者はパスを1つするだけでもとても難しいんです。それでもみんなでスポーツができるのが嬉しくて、まずは競技を楽しみながら練習に励みました。楽しんでやっていれば上達しますし、プレー中に声を出して提案もできるようになります。そもそも競技人口が30人程度と少ないこともあるのですが、そうした姿勢が評価されて、日本代表として選出していただいたんだと思います。

―会社員と日本代表選手との二足のわらじで活躍している細谷さんですが、両立するうえで苦労していることはありますか。

それが特にないんです。オープンハウスグループは就業時間のルールがきちんとしているので、残業が多すぎて帰れないということもありません。平日は18時〜18時半ごろに終業して自宅に帰り、筋トレなどをしています。通常、ブラインドラグビーのチーム練習は週末、月に2回ほどなので、問題なく両立できています。代表戦に向けた合宿などはこれから始まるので、今後はスケジュールの調整なども必要になるかもしれませんね。

―11月に控えるイングランドでの代表戦に向けた意気込みをお聞かせください。

2019年のラグビーワールドカップの時に、イングランドからブラインドラグビーの選手も来日して、初めての国際試合を行ったんです。そのころは私はまだ参加していなかったのですが、残念ながら惨敗だったと聞いています。それから5年、日本選手のレベルも上がっているので、借りを返すつもりで臨みたいと思っています。初めての遠征、初めての代表戦に、今からワクワクしています。

ブラインドラグビーはまだまだ知名度も低く、知らない人が多いスポーツです。日の丸を背負う以上、試合で勝ちに行くことはもちろん、普及活動にも力を入れて盛り上げていきたいです。

社員のステージに合わせた働き方を考えてくれる

―病気やケガなどで思うように働けなくなることは、誰にでも起こり得るリスクです。難病を発症した細谷さんだからこそ感じる、オープンハウスグループの働きやすさについて教えてください。

オープンハウスグループには、やる気があって全力疾走している社員がたくさんいます。でもそんななかに、私のように途中で病気やケガをして立ち止まってしまう人もいるんです。アクシデントがなくても、出産や育児、介護などのライフイベントだってそうですよね。そんなときでも決して切り捨てたりせず、社員1人ひとりに寄り添って対応を考え、社員のステージに合わせた働き方を一緒に考えてくれるというのは大きな強みです。荒井社長が「社員は会社が守る」と公言してくれていることもあり、目の前の仕事以外の、勤務環境や働き方、人間関係などで悩むことがないというのは本当に働きやすいですね。

―細谷さんが思う、オープンハウスグループのよいところはなんですか。

会社が社員のことを思っているのと同時に、社員のほうもオープンハウスグループという会社を好きだということです。勤めている会社のことを好きだと言えるのって、そんなにあることじゃないですよね。私自身、この会社が好きだし、入社してよかったと思っています。

―最後に、求職者に向けたメッセージをお願いします。

オープンハウスグループは、やる気に満ちて、前向きに、元気よく、明るく楽しく働ける会社です。企業理念のなかに「やる気のある人を広く受け入れ、結果に報いる組織を作ります」という一文がありますが、高卒・中途で入ってきた私は本当にこのとおりだったなと思うんです。一方で、未経験の方でも滞りなく業務をこなせるようなシステム化もどんどん進んでいるので、便利なツールを使いながら能動的に働けます。どんな出自でも、どんな経歴でも、やる気があれば一生懸命働ける環境があるので、ぜひそういう人に入社してもらいたいです。

たとえ病気を発症しても、働きたい人を全力で支えてくれる

視覚障がいを持っていることを感じさせない明るくほがらかな細谷さんは、たとえ病気などで制約があっても、自分らしく、楽しく、一生懸命に働けるオープンハウスグループの風土を体現している存在だといえます。さまざまなライフイベントやアクシデントにも柔軟に対応してくれるオープンハウスグループの懐の深さは、働く人たちの強い味方です。