社長インタビュー

INTERVIEW with the President
INTERVIEW

社長インタビューINTERVIEW

「成長するって、こんなに楽しいんだ」って思うよ、絶対に。

君は、君の想像以上の人間にだってなれる。
人を感動させる側の人間に、なってみようよ。

株式会社オープンハウスグループ代表取締役社長 荒井正昭

1965年、群馬県出身。不動産業を営む家で育ち、中学生の頃に司法書士を目指す。大学進学に向けて予備校へ通うために18歳で群馬県から上京。勉学に興味が持てず、アルバイト生活を送る。21歳のときに司法書士の資格を得るために専門学校への進学を決意。学費を稼ぐために不動産会社に就職、以降10年間、営業職を務める。1997年9月、株式会社オープンハウスを設立。代表取締役社長に就任。都心・城南エリアを中心に、不動産仲介事業、新築戸建分譲、マンション開発事業を展開。2013年9月に東証一部上場(現在の東証プライム市場)を果たす。以降、名古屋圏やアメリカ不動産市場への進出など、業容を一層と拡大。今後も大型M&A、海外事業拡大など、さらなる事業展開を睨んでいる。

CHAPTER 1 本気になれば、己の力で人生を切り拓ける。誰であっても

荒井社長の中学生の頃の夢は司法書士だったそうですね。
随分と早熟な中学生です。

ええ、昔から変わっているんでしょうね。ただ、私は昭和40年生まれの世代。当時は、「将来、偉くなりたい。お金持ちになりたい」と思うことが当たり前の時代でした。
中学生の頃に、「将来の年収は5000万円。結婚は22歳」と具体的な数字まで決めていたくらいです。私の実家は不動産業を営んでおり、父親は週に2日しか働いていなかった。それでも裕福だった。その姿を見ていたから、将来サラリーマンになるという発想には至らなかったですね。

その後、18歳で群馬から上京。
2年間、予備校に通いますね。

初めての一人暮らしで、勉強より遊びが優先でしたけどね(笑)。2浪後に、今度こそは勉強をしようとしたら、母親が「帰郷しなさい」と(苦笑)。とはいえ、東京の暮らしが楽しすぎて、田舎には帰りたくない。そこで、アルバイト生活を経て、不動産会社の営業職に就きました。歩合制の会社だったので、ここで司法書士を目指せる専門学校の学費を稼ごうと思ったのです。

その会社でトップの営業成績を維持し、年収も相当な額に。しかし、それ以上の成長に限界を感じ、オープンハウスを起業されたそうですね。

私は性格的にサラリーマン向きじゃないのに、仕事が面白くて10年間も勤めていた。なぜ続いたかというと、自分と会社の成長が楽しかったから。オープンハウスも同様に、成長を楽しみながら、大きくしてきました。創業当初の想定は、「前職の不動産会社より1店舗多い会社にしよう」という程度でした。ただ、成長が早かった。当時のオープンハウスは、不動産流通の世界的ネットワーク『センチュリー21』の加盟店でした。起業から5年で加盟店売上1位を目指していましたが、わずか3年で全国1位を達成した。次の目標はどうするかと考え、どうせやるなら不動産流通業で日本一に、いや不動産流通業だけでは面白くない。不動産業界で日本一の企業になろう、と目標が進化していきました。

なぜ、1位にこだわってきたのでしょうか。

私は人に負けたくない性分。負けたくないとなると、自ずと一番になるしかない。そもそも人間には、能力の差などないと、私は思っています。誰でもやる気があれば、自分の力で人生を切り拓ける。社員にも毎日、言っています。「敵わない相手などいない。絶対に自分から弱気になるな。やれば勝てる」、とね。

少し変わった形状の土地などを有効利用し、営業部隊が徹底して足を使い、稼ぐ。
オープンハウスのビジネスモデルは、言うは 易く行うは難し。なぜ、やり切れる組織ができたのでしょう?

オープンハウスは、社員のモチベーションが高まる待遇を用意しています。年齢に関わらず、結果を出した社員はすぐに昇格、昇給するので、自ずと仕事の質が高まる。仕事の質が高まれば、売上が上がり、会社は大きくなる。それに伴いポストも増えますので、昇格や収入アップのチャンスも増えていく。社員たちは、売上実績を残せば、それに相応する評価が、給与やポストとして返ってくる。だから、やり切れる組織になってきたのです。

荒井社長は、過去に、「0歳~24歳の頃の自分はダメな人間だった。
仕事を通してマトモな人間になれた」と発言されています。仕事で人は変われる、と。

確かに私は仕事を通して、変わった。ただ今でも“ 成功体験を知らない人”の気持ちはわかる。だから、社員たちにも目標を乗り越える気持ちよさを感じてほしい。業界1位の会社に入れなくても、勝つことはできると体感してほしい。その想いがあるから、オープンハウスは大きくなっていったんです。

CHAPTER 2 これからも若手社員が希望を抱ける会社にする。
だから売上一兆円を目指す

それにしても、一兆円という響きは、インパクトが大きいです。

一兆円までいくと、ワクワクしますよね。現在の日本の経済情勢を考えると、今、『日本一』というワードを掲げても、若者にとってはワクワク感を覚えないかもしれない。でも、『一兆円』は心に響く。その目標に向けて、オープンハウスは、事業拡大を推進していきますし、グローバル化も進めます。昨年、設立した米国不動産事業は、わずか1年で120億円の売上が見込めます。名古屋圏の売上は2年で300億円ほど。今後の新規事業の売上も、1事業につき100億円以上の売上を目指し、努力していきます。一兆円という数字は、壮大に映るでしょうが、そもそも売上一兆円まで規模を拡大しないと、今いる若手社員たちの将来のポストが限られていく。かつて私は、初めて新卒社員を採用した際に、「会社の規模が現状維持だと、この若者の将来のポストを作れない」と思い、規模拡大を決意しました。あれから20年以上経っても、その思いに変わりはありません。若手社員が希望を抱ける会社にするには、売上一兆円は必要条件なんです。

世の多くの人は、「一大財産を築いたら、仕事を辞めてやる!」と思うでしょうが、社員の将来のためにも、荒井社長は辞めるに辞められない。

そう! 私はいつも、社員に朝礼で言っていますよ。「今、社長を辞めたら、これから先、私は毎日パーティーをして暮らしていける。でも実際は、君たちに『がんばろうよ!』と言い続けている毎日だ」、とね(笑)。もちろん、冗談ですよ。今、仕事を辞めても、今より楽しいことは起きないと自分で分かっていますから。私は、会社や人を成長させることこそに喜びを感じているんです。「あぁ、彼は、あの課題で悩んでいるな」とか、「あの社員、落ち込んでいるな、どうやって励まそう」とか、そうやって感情を刺激される毎日の方が、私は楽しい。

CHAPTER 3 「成長するって、こんなに楽しいんだ」って思うよ、絶対に。

荒井社長自身が、言いたいことをなんでも 言うので、社員のみなさんも言いたいことを 正直に公言するそうですね。

ええ、朝礼の度に、社員たちは「自分は、来年には課長になります!」などと、勝手に自分のポストを宣言しています(笑)。普通の会社であれば、怒られるような発言ですよね。でも、一番大事なのはそこ。自分で「課長になる!」と宣言したら、その目標を達成するために、自ら工夫し、情熱を持って仕事をするようになる。当人と会社が、成長を促し合える関係になっています。

社員の方々から、社長への感謝の言葉は?

ない!(笑) うちの社員は、ゴマをすらない。私は自分が偉いとは思っていないので、私も人にゴマをすらない。私と社員はフェアな対等関係ですから。最近は、入社一年目の女性社員が、気軽に私に話しかけることもあります。私も気軽に社員に話しかけますからね。中途採用の人は、その光景を見てよく驚いていますよ。

オープンハウスは体育会系という先入観を持つ方も多そうですが……。

トップはフランクですが、現場は体育会系です。営業系はまさしく“営業部隊!”という感じです。ただこれから先、部署によっては文化を変えていく必要もあると考えています。新規事業が増えていくことで、クリエイティブ型のリーダーも必要となっていくでしょう。

一兆円を目指していく上で必要な異業種事業に必要な人材。

そう、自らPDCAを回せるリーダーが必要です。当社の今までの文化は、DO、DO、DO! もちろんDOは今後も大事ですが、これからはPDCAを回せるリーダー候補の採用もポイントになっていくでしょう。とはいえ、DOを回せない人は、PDCAも回せないので、実行力は必須です。

オープンハウスの未来のリーダーに、投げかける言葉がありましたら。

オープンハウスに入社する上での最大メリットは、自身と企業の成長を味わえることです。“失われた20年”世代、“さとり”世代と呼ばれてきた若者が、存分に成長を楽しめる、常に上を目指せる。そんな日本企業は数少ないと思います。事実、当社では2年目、3年目の社員がどんどん結婚し、家を購入しています。今も、これからも事業が成長し、収入が増えていくと想定できる環境であれば、“結婚離れの若者”も、結婚への決意が早まるのでしょうね。豊かな生活が未来にあると、結婚観も人生観も変わる。そこは強く、伝えたいです。